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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2014.07.09 Wednesday

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5月柳川の旅初恋の人

 初恋の人に会ってきた。
会いたい人にあうこと、行きたいところにいくこと、思い立ったら吉日とわがままを実践中、がんちゃんの追っかけに追いつかれない内にと、今度の初恋の人との逢瀬も計画した。
 ゆったりしたいい町だった。高い建物がない。
家々も人々も密度濃い都会にはないゆとりがある。初めて出会った人とのおしゃべりにも笑顔が浮かび、双方が幸せな心地だ。
 人間、人と人を結ぶにはこんな間の妙が必要なんだな、スマホで繋がったように思っても、それは人間の間の妙にはならない。お互いを思い遣りあう想像力はこの妙あってこそなのだろう。そんなことをホテルのベッドの上で考えた。
 一面の麦畑にはすっくと青い麦の穂が実っている。
清らかな若い命に見とれた。夫の運転で車を走らせながら、その青いの麦の穂をかすめて私は飛んでいる。
夢見る夢子、昔の私がこの年になって再び登場するとは、旅とは不思議でおもしろい。
初めての地、憧れの柳川、目を細めて私は飛んでいた。
 柳が芽を吹き川面に映る。川下りは、珍しい女船頭さんの案内で情緒があった。水に映る木々、鳥の声、風景の向こうからきこえてくる子どもの声。
 さて初恋の彼のことだが、中学生のころ私は日記帳に彼の名前をつけ日々を彼に語っていた。隆吉さまと始まるので、かなり乙女ティックで少し創作なども入っていて、今出てきたら悲鳴をあげて逃げ出すことだろう。
 隆吉は水郷の町柳川に生まれた。明治18年のことだ。
 彼との出会いは中学生の頃、ふと表紙の白いからたちの花に目が止まり読んだ小説の主人公が隆吉後の北原白秋だった。
彼の子ども時代から青年期までを描いていて乙女はその彼、いや自分と同じ年頃の彼ら若い群像に恋をしたのだ。
 深い悩み、悲しみ、運命、その中で育っていく豊穣な精神性、どれも子どもっぽい私には持ち合わせていないものだった。
初恋はそれほど長く続かなかったが私の心の底で消えることなく芽を吹いたようだ。
治療で通院することになった久留米市から憧れの柳川は近い。「行きたい」といえば、夫が「行こう」と答えてくれ、治療の前の柳川二泊となった。ゆっくりゆっくりゆるゆる休憩しながらの旅だ。
 白秋の生家は昭和44年に復元され、民族資料館となって立派営されていた。彼が育った母屋に座り偲んだ。土間の井戸に子どものころ「とんかじょん」と呼ばれていた隆吉の姿を想像した。友と詩を読み文学を語りあった熱い青春時代の白秋たち。
ひとり浸っているとあっという間に時間が流れた。
「どうや、初恋の人に会えましたか」と夫が呼びに来て我にかえった。母屋から庭を見ると大きなザボンが実っていた。
白秋の子どもの頃にはすぐ傍に掘割があって川魚が豊かに跳ねていた。彼の詩心は柳川の情緒の中で育てられたのだ。
  「もうしもうし 柳河じゃあ柳河じゃ 銅の鳥居を見やしゃんせ 
   欄干橋を見やしゃんせ 御者は喇叭の音を止めて
     赤い夕日に手をかざす」
息子たち男性合唱団がうたった柳川風俗詩「柳河」の旋律が頭の中に流れてきた。

おや 初恋はこんな所まで繋がっていたのだ。
 
 

 
 
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