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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2013.09.28 Saturday

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秋 浄瑠璃寺

点滴注射はなかなか慣れない。腕の血管を選んでようしここぞとばかり針が来る感じがまずいや、ここで「ああ血管が動いて入らなかった」なんて言われたら最悪、それでも こちらは人生を重ねた年配者「いえいえ大丈夫」と見栄をはってしまい、内心泣きそうなのを堪える。そこで子どものように頑張ったご褒美と勝手に決めて小さな旅に出ることにした。
 
点滴注射はなかなか慣れない。腕の血管を選んでようしここぞとばかり針が来る感じがまずいや、ここで「ああ血管が動いて入らなかった」なんて言われたら最悪、それでも こちらは人生を重ねた年配者「いえいえ大丈夫」と見栄をはってしまい、内心泣きそうなのを堪える。そこで子どものように頑張ったご褒美と勝手に決めて小さな旅に出ることにした。
 
 まだ紅葉には早く京都から奈良の山道は人の姿もまばらだ。
運転は夫にまかせて私は景色に見とれる。
細かな金色の光がふりそそぎ、風がその合間を抜けていくと
木々がいっせいに踊りだす。
すすきの穂など銀色をなお輝かせてそよぐ。風の道は呼応するように自由自在に進み戻りする。
飾り気のない山の辺の道が人知れずこんなに鮮やかに輝いている。桜の葉が少しだけ染まっている。「ほら、ほら」夫に知らせる。 「ほう桜もみじ」と言ってまたすぐ運転手にもどる。

 私は過去の記憶も大雑把で細やかさがない。記憶が埋没して、忘れていることのほうが多い。夫はこの逆で実に細やかに覚えている。50年前に来た道をたどったり、そのときの小さな出来事を覚えている。ひょっとしてこの変哲もない道で私が「ほら」と言って桜もみじを愛でたことも覚えていることになるかしらなどと妙なことを考えた。
「ガンちゃん」と共の暮らしになってゆっくりした時間がとれるようになった。いや老いに与えられる人生のご褒美かもしれない

「浄瑠璃寺へ行こうか」と夫が言い、前日の琵琶湖の宿を出ての順路が決まった。
堀辰雄のエッセイ「浄瑠璃寺の春」が好きだった。結婚して家事に追われるようになってからもふと自分を取り戻すように台所の流し台の上にこの本を立てて炊事をしながら朗読した。
馬酔木の花を知ったのは、このエッセイからで前栽に夫が植えてくれたのだが今は絶えてしまった。
浄瑠璃寺は変わらずさりげなくあった。蓼の赤い実を「おおう!」と夫が指差した。水引草、藤袴、萩、擬宝珠、門前の石仏と共に笑いさざめくように、けれども密やかに咲いているのだ。
「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、2丁ほどだす」堀辰雄が道を問うと少女がこたえる。当時の当尾の里と変わらない風景の中を私たちは静かな山道に詫びながら車ですすむ。
九体仏は阿弥陀堂の中に祀られている。浄瑠璃寺を「九体寺」という所以だ。その真東に池を挟んで建つ三重塔は朱色に彩られ、中に本尊の薬師仏が祀られているのだ。
阿弥陀堂へ歩を進める。入り口で竹の杖を借りてここまで上ってきた。その杖をひとまず縁さきにやすませ、靴を脱いで本堂を囲む縁側に進む。「あっ」息を呑んだ。常緑の高い木立のてっぺんから波の音が聞こえる。それは風が樫の木を揺する音だった。しばらくそこに座りじっとしていた。色づいた柿がひとつ緑の中でめだった。薄暗いお堂の中で神妙な気持ちになった。
外へ出て中央宝池を巡り三重塔へ、池は昭和51年から、なんどかの調査、研究、復元整備の末、ほとんど久安六年(1150年)時代の姿をよみがえらせたという。
堀辰雄がこの池のそばに立ったときは、昭和初期に植えられた睡蓮に覆われた池だったようだ。
今、池の面がさわさわと風紋を作るのを見ると心まで澄み渡る。
満たされた気持ちで帰途についた。

 まだ紅葉には早く京都から奈良の山道は人の姿もまばらだ。
運転は夫にまかせて私は景色に見とれる。
細かな金色の光がふりそそぎ、風がその合間を抜けていくと
木々がいっせいに踊りだす。
すすきの穂など銀色をなお輝かせてそよぐ。風の道は呼応するように自由自在に進み戻りする。
飾り気のない山の辺の道が人知れずこんなに鮮やかに輝いている。桜の葉が少しだけ染まっている。「ほら、ほら」夫に知らせる。 「ほう桜もみじ」と言ってまたすぐ運転手にもどる。

 私は過去の記憶も大雑把で細やかさがない。記憶が埋没して、忘れていることのほうが多い。夫はこの逆で実に細やかに覚えている。50年前に来た道をたどったり、そのときの小さな出来事を覚えている。ひょっとしてこの変哲もない道で私が「ほら」と言って桜もみじを愛でたことも覚えていることになるかしらなどと妙なことを考えた。
「ガンちゃん」と共の暮らしになってゆっくりした時間がとれるようになった。いや老いに与えられる人生のご褒美かもしれない

「浄瑠璃寺へ行こうか」と夫が言い、前日の琵琶湖の宿をでての順路が決まった。
堀辰雄のエッセイ「浄瑠璃寺の春」が好きだった。結婚して家事に追われるようになってからもふと自分を取り戻すように台所の流し台の上にこの本を立てて炊事をしながら朗読した。
馬酔木の花を知ったのは、このエッセイからで前栽に夫が植えてくれたのだが今は絶えてしまった。
浄瑠璃寺は変わらずさりげなくあった。蓼の赤い実を「おおう!」と夫が指差した。水引草、藤袴、萩、擬宝珠、門前の石仏と共に笑いさざめくように、けれども密やかに咲いているのだ。
「九体寺やったら、あこの坂を上りなはって、2丁ほどだす」堀辰雄が道を問うと少女がこたえる。当時の当尾の里と変わらない風景の中を私たちは静かな山道に詫びながら車ですすむ。
九体仏は阿弥陀堂の中に祀られている。浄瑠璃寺を「九体寺」という所以だ。その真東に池を挟んで建つ三重塔は朱色に彩られ、中に本尊の薬師仏が祀られているのだ。
阿弥陀堂へ歩を進める。入り口で竹の杖を借りてここまで上ってきた。その杖をひとまず縁さきにやすませ、靴を脱いで本堂を囲む縁側に進む。「あっ」息を呑んだ。常緑の高い木立のてっぺんから波の音が聞こえる。それは風が樫の木を揺する音だった。しばらくそこに座りじっとしていた。色づいた柿がひとつ緑の中でめだった。薄暗いお堂の中で神妙な気持ちになった。
外へ出て中央宝池を巡り三重塔へ、池は昭和51年から、なんどかの調査、研究、復元整備の末、ほとんど久安六年(1150年)時代の姿をよみがえらせたという。
堀辰雄がこの池のそばに立ったときは、昭和初期に植えられた睡蓮に覆われた池だったようだ。
今、池の面がさわさわと風紋を作るのを見ると心まで澄み渡る。

満たされた気持ちで帰途についた。
     
 

 
 
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