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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2013.05.30 Thursday

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忘れられない日

 子どもたちに命のエネルギーを感じる。天地を震わすように泣く声、満面の笑み、踏みしめる一歩、怒っている、喜んでいる。 
一刻一刻、全身で生命を謳歌している。
 私の息子はその頃に病を宣告された。
当時、原因も治療法もない筋ジストロフィ ドゥシャンヌ型というのが愛しい長男への最終診断だった。
20代の未熟な母だった。
母であることだけが 絶望、怒り、涙に向き合う小さな炎となった。
息子の寿命を宣告された3歳から、私達家族は命を見据えて
生活することになった。
 どのように死ぬかという不安、と同時にどのように生きるかという希望が表裏一体で、根本から生き方を問い直された。
症状は進み息子は車椅子生活だったが高校、大学と若者らしく未来に向かって生きていた。
その息子を22年前に亡くした。24歳、旅先のことだった。
車の中で呼吸がとまり心臓が停止。
運命の病であり覚悟していたこととは言え必死だった。
救いたい思いで車中、娘と私は人工呼吸と心臓マッサージをし、夫は考えられない力を奮い立たせ車を飛ばし病院に到着した。
運よくそろっていた救命スタッフによって息子は蘇生、すぐに自分の記憶を確かめているようだった。
手振りで書くものをというので渡すと過剰診療×、過剰投薬×と書いた。 今までの自分の人生がそうであったように、人として
あたりまえにありたいと思っていたのだろう。
ある時、天井をみて呼吸器に繋がった口をパクパクさせた。
苦しいのだろうかと不安になった。じっと見ていた娘が
 「歌ってる!剛さんうたってるんやね」と言った。
にこっと笑ってなおもパクパクする口元、「柳河や、そうやね剛」と姉。それは北原白秋作詞 多田武彦作曲「柳河」、大学の男性合唱団で歌った曲だ。
入院のベッドで声の出せない息子のささやかなホームコンサート、いつのまにか弟の一番の理解者になっていた娘だった。
「剛さん、次ペチカ歌おう」と娘、「雪の降る夜は たのしい ペチカ ペチカもえろよ」4回生の最後のコンサートで息子が独唱した曲、歌いながら私たちはほっとし、幸福な気持ちになった。
それは息子からのプレゼントだった。
息子は伝えていた。「生きているよ 僕は僕のままで」と。
 私達家族は入院を日常の生活の延長線上にとらえようとしはじめた。たとえ呼吸器をつけ、声が出ず、心電計に繋がれていようとも 笑いたい、おしゃべりしたい、音楽を楽しみたい、美しい絵を見たい、息子が少しでも心地よく過ごせるように家族は工夫をした。夫は息子愛用のワープロを取りに帰り、音楽や落語のテープ、画集なども病室に運んだ。
いつのまにか、病院のスタッフが息子の意思を大切にしてくださるようになった。「やっとできた休養のひととき どうかお静かに」と病室の入り口に吊るしたメッセージをご覧になって笑顔でうなずき「あとにしましょう」と言ってくださった。嬉しかった。
 息子は逝った。 
入院中たくさんのプレゼントを私たちに残して逝った。
「鐘の音がきこえるよ、5時に窓あけてみ」ああ あの音色。
「風になる」 ああ 病室に吹き込んだあの風。
「じっと目をみると 人柄がわかるんや いい人やと」
ああ あの笑顔と丁寧な看護の看護師さん。
 彼が残した言葉は、今もこの母を安らげてくれる。

私たちにとって忘れられない日がまたやってくる。
 

 
 
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