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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2012.11.28 Wednesday

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小春日和 十字峠へ

小春日和の午後 「こんな日はもったいない紅葉狩りといくか」と夫、思い立って昼食を済ませ車を走らせた。いつもの通勤コースである。河合寺を抜けカーブのところに一本、真っ赤に染まるもみじがある。「いいなあ」と まず深呼吸するのも、いつもと同じ。道路の両側から迫る木々は秋真っ盛りを歌う。
山々が織り成す錦にため息をつく。
ここら当たりから車が混みだして観心寺の駐車場は満員の盛況、
どなたも いい顔で、お寺へ入っていかれる。嬉しくなる。
保育園を覆う大木になった川沿いの もみじばすずかけは誇らしげに朱色や黄、赤に染め分けた葉を風に揺すらせている。
どんなに疲れていてもこの道中のお陰で心と身体が蘇るのだ。
日々 天候や風向き、湿度や温度、時間の推移が風景の彩りを変えるので飽きることはない。
観心寺を過ぎて鳩原、太井、小深。
この辺りから通っていた懐かしい子どもたちの顔が浮かぶ。
無認可の幼稚園だった頃、私はお寺の講堂で子どもたちと過ごした。あの子どもたちは今どうしているのだろう。
消息の分からない子が気にかかる。幼い一途な目で私を見ていた。若くして逝った子もいる。おかあさんはお元気だろうか、
私のように心の底から消えない涙の水溜りをお持ちだろうか。
水溜りが溢れないよう逝った子を偲んでいらっしゃるのだろうか。

小深あたりから一気に気温は下がる。
それでも透き通った空気を吸いたくて車窓は全開。
気持ちがいい。
目的の十字峠は友人の山に繋がる。山に入らせていただくことを理(ことわ)ったら,近くまで車で行けばいいと快い返事。
歩き始めてすぐ身体が喜ぶのを感じる。
鬱蒼とした檜林、さっきまでの色とりどりの華やかさは無い。    
森閑として見えない尊い力に満たされている。
木漏れ日が檜の木一本一本を光らせていく。
天に向かってすっくと伸びた木は、行き届いた手入れを示している、除伐、枝打ち、間伐、歩いている山道も間伐材で土手を補強してある。枯れた木を伐採した後もある。
作られた薪は、整然と並べ積み上げられて白い肌を見せている。
大変な重労働、すぐに利点が見え結果が示されるものではない。
山と語り、山を愛し、長い時を経て関わった人々があることを思った。いやそんな理屈ではなく、ただ何か尊いものに抱かれたような気がしたのだ。なぜか涙が出てきた。
友人から十字峠の台風被害を聞いて胸を痛めたのは14年前のことだった。「愕然としてしゃがみこんだ主人の後姿・・・
木々が倒れ山にぽっかり穴が開いてそこから陽が差して・・」という彼女の言葉が忘れられない。
曽祖父、祖父、息子、孫4世代がこの山を見てきたのだ。
父が植林し育てた木、息子が受け継ぎ育て次に植林した木が並んでいる。そして今、粛々と手が入り伸び行く木。
40年やってきたことが今のあの木々の姿だという彼女の言葉は重い。でもねえ収入にはつながらなくてねウフフ」
「主人にお金が無いというと 山がきれいになったでってかわされるのよアハハハ」
「作業道を見たわ、間伐材で土手を固めてあって」と私が言うと
「そう、こつこつと延ばしていき出来たのよ。この道が出来たから、作業車を入れて機械で材を持ち上げトラックに乗せられるの、息子が日曜日に手伝いに来てやってますわ」と言う。
帰路、山道の疏水から聞こえる水音にしばらく耳を傾け、透き通った水の姿に見とれた。
「あそこは、私、お勧めのスポットです。生気が蘇るでしょう」
と彼女が言った。

彼女も山を誇りにしているのだ。山を愛しているのだ。
 

 
 
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