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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2012.10.28 Sunday

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心地よい

夏の間ベランダに木陰を作っていた凌霄花(のうぜんかずら)。
なるほど漢字で書くと、真夏の大空にぐんと勢いよく花開く、この木の様を言い当てている。
この木を植えたいと思ったきっかけは、弘川寺で見た朱色の優雅な花びらの花を見染めたからだ。
寺の方に伺ったらノウゼンカズラと教えて下さった。
夫が苗を見つけて植えたら見事に根付いて、ぐんぐん大きくなり、いよいよ花開いた。ところが、どうも違う。
色はクリームがかった黄色、ラッパのような形で思った優雅さではない。確かに苗には、ノウゼンカズラとあったはずだ。
少々がっかりしたからか、ノウゼンカズラという名をなかなか覚えられないでいた。年のせいにして「なんだったっけ?ええっと度忘れだ・・・・ウーン」と唸っている私に夫が助け舟を出した。
「能ある鷹は爪かくす」。きょとんと私。「能?何よ・・・・」。
夫、にやにやして答えず。不愉快なり。
「ノウ・ああそうだった ノウゼンカズラ すっとした」
こうしてその後まず脳が出てからノウゼンカズラに相成る。
大空(霄)を凌(しの)ぐ花、正にである。
今や我が家で18年、主のように存在している。その後本名はアメリカノウゼンカズラ、ラッパフラワーと判明した。
細いひょろりとした苗が植木鉢で育ってから独り立ち、さあそれからはぐんぐん勢いを増し、伸びた伸びた。
夏はベランダのほとんどを緑陰にする役割をぶどうの木と分かち合っている。細かった枝も木(ぼく)という感じだ。丈夫なことこの上ない。
ラッパの大演奏の花の夏が終わり、秋を迎えてはらはら葉がはらはらと舞い始めた。こうなると可憐だ。
そしてこの秋景色に夫の庭仕事が、突然木工に割り込むことになる。陽射しの嬉しい土曜の午後ベランダの木陰で昼食、これは我が家のささやかな贅沢、野菜中心の粗食がこれだけでご馳走に感じるのだ。その食事のご馳走さまが終わるなり 鋏を取り出し、ちょきちょきノウゼンカズラの剪定を始めた。
「明日は雨のようやからな」と。
植木屋さんは天候に機嫌を聞き、風の匂いを嗅ぎ、身体の調子を問い、仕事の段取りを変えるのだろうと、我が家の素人植木屋なる夫を見ていると思う。
こんな調子ですっきり裸になった。これからまたじっくり力を蓄え春の芽吹きに備えるのだ。

ところで夫、実は75歳に相成った。
この年齢で大好きな木工も植木の剪定もほとんど立ちっぱなし、なかなかの運動量だから、太る暇はない。夫のスポーツジムは、日々の生活、それも好きなことなら上々というわけだ。
これが傍で見ている私に火をつける。もそもそと動きたくなるのだ。夫が裁いたノウゼンカズラの枝を集めてぽきっと折りたくなる。
落ちた葉を集めたくなる。袋に入れて掃除したくなる。
ついに椅子に座ったまま手が働き出す。
疲れやすいから用心用心のはずが、心わくわく弾んで、庭仕事の真似事になる。きれいに片付いていくのが嬉しい。ごみ袋2袋でダウン、残念ながら途中退場。でも、でも、でも、ああ楽しかった。
なんと心地よい音だろう。心地よい匂いだろう。心地よい手触りだろう。働けるということは、なんとありがたいことだろう。
お日様や風と仲良くなれる。弾んだ心のままに動くことができる。
汗をかいて「やったなあ」と自分と握手できる。

そんな当たり前のことが日々の生活の中にあって、何物にも変えがたい幸せだと病を得て強く思うのだ。
 

 
 
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