子どもが泣き出した。
全身から汗を噴出し、全エネルギーを傾けて。
いったいこの小さな体のどこから出てくるエネルギーだろうと思う。
「うおーん、おにいちゃんせんせいぼくの横へきてほしかったのに」
「カナヘビがにげた うわあーん」
「だいすきなのに ここへきて うわあーん」
「いちばんになりたかった うおーん」
「おかわりが なくなった うわーん」「ウワーン」 とこうなる。
「あのな あのな そんなん ゆうたら ないたるからなあ うわあーん
けんかの売り言葉になっているのには、思わず吹き出した。
お母ちゃんだからこそ無理を言いたいという感じで、あれやこれや「私を見てて」を表現してオワーンとなるのがあれば、時間を元にもどせというのもある。
この「エネルギー満開」をすっかり年を重ね少々あせた感性に
絶望気味の私などは羨ましい。
可愛くてたまらない。
いったいいつごろまで私はこんな風に泣けたのだろう。
小学校の担任の先生は「あの泣き虫の範子がねえ」と仰る。
「大きな目玉に涙をためて」と。
そんなはずではと言いたいのだけれど そうだったかしら。
自分では覚えがない。
妹とは8歳違いだ。
子どもの頃の妹の泣き顔は、今でもはっきり思い出せる。
可愛かった。涙に鼻水で くしゃくしゃになって ヴオーンと泣いた。
我が家は夕食のあと家族全員でいろいろなことをして遊んだ。
いつも父が先導して遊びが始まったのだ。
心の底から笑った。息苦しくなるほど笑った。
相撲大会、風船バレーボール、座敷机のピンポン台、張り板の滑り台、かくれんぼ、ガラス玉のおはじき、ザリガニ釣り、肝だめし、
次々浮かんでくる。
我が家の相撲大会、栃錦や若乃花、吉葉山などが活躍した時代だ。父に私たち子どもは挑んでいく。
タオルでまわしなどつくって相撲取り気分だった。
抱き上げられて転がされたり、子ども三人で父を倒したり、そのうち母まで、「よしばあぁやぁまぁ(吉葉山)」と呼び出される。
きれいなお相撲さんの吉葉山に当時の母は似ていたのだ。
妹は負けると悔しくてヴワーンになるので、父は時々「おっ なかなか やるなあ つよいぞう」といって負けてやるのだ。
そんな我が家の相撲大会で自信をつけた妹は、ある日近所のゆうちゃん、年下のこうちゃん兄弟に相撲を挑んだ。
見事な擦り傷を作り、大泣きということに相成った。
5歳ぐらいだった。
可愛くておかしくて8歳年上の私は父と顔をみあわせて笑った。
またある日すっかり寝入った妹をおいてわたしたちは氷あずきを食べに出た。目を覚ました妹がヴアーンと泣き叫ぶのをご近所さんがなだめてくださった。あの泣き顔も可愛かった。
今、その妹とほとんど同じ年頃気分でするおしゃべりが楽しい。
私が癌ちゃんになってからちょこちょこ、訪ねてくれるのが、楽しみの一つだ。
昔ぐしゃぐしゃヴオーンのやんちゃは、優しく人情味のある大人になった。今、涙が溢れるのはその人情味のせいだ。
ただいまウワーンと空き缶を転がす真っ最中の孫たちを楽しんでいる。