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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2012.04.22 Sunday

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お祝いパーティー

よく笑った。
冬景色、スキー、みかんの花、ふるさと、唱歌をみんなで声を揃えて歌った。いがぐり頭、おかっぱ髪の中学生に戻って、○○ちゃん、○○くんと呼び合った。
走るのが早くて、背が高くて、女の子だけど、男前だったあの子、おとなしくて、きれいな声で歌ったあの子。卒業以来会っていない同級生、名前も顔も覚束無い、けれど 記憶の中から懐かしさが、滲み出てくる。
 下町、戦後の復興から立ち上がった家々にはそれぞれの事情があった。大人たちは必死でひっくり返った生活を立て直すために働きやっと落ち着き、活気を取り戻した。そういう意味ではそれぞれの事情は違っても、生きるということの意味を子どもたちに見せつけていた。朝、家の商売を手伝ってから学校へやってくる小学生などあたりまえだった。
なんとなくぼんやり過ごしていた私が目覚めたのは、小学校4年生ごろだったような気がする。
その頃、ごんちゃんは私の親分、お家は八百屋さんだったか、
兄弟が多くて、私のような過保護の頼り無げな泣き虫ではなくて、子どもらしいエネルギーに溢れていた。「のりちゃん、りんご食べようか」と包丁を持って、林檎をしゅるしゅると手際よく剥く、びっくりした。同い年と思えないごんちゃんは私の尊敬の的になったのだ。
 ごんちゃんから、久しぶりに電話があった。
喜多くんのイタリア コンパッソ・ドーロ受賞を同級生で祝うから参加してというのだ。同じ電話が吉田くんからもあった。吉田くんは建築設計家、生活するほど好きになる建物を設計する。彼のモチベーションの高さを維持しているのは衰えぬ建築への情熱だ。建物と緑の木々を調和させて設計、ファンが多い。この二人は 今や、同級生の私を差し置いて夫の惚れた男たちだ。
私は術後で不参加、同級生ではない夫が参加と答えた。
その後ごんちゃん、吉田くんに励まされ、私は、しばらく逡巡したが、ぎりぎりになって参加を決めた。
 ごんちゃんはご主人の介護をしながら着付けの先生をしている。
自宅のサロンを提供してくれた、あの女の子だけど男前の順ちゃんの見事なほどの生きるセンスは、ご主人を亡くされたり、親御さんの介護や、障害者との関わり、体に巣食った癌それらが培ったものだ。「ぼくも8年前癌で胃、切ったんや」と恵ちゃんは先輩風をふかす。シルバー語学研修でイギリスへ行ってきたそうだ。
持参の玄米弁当を食べながら私は大いに笑い、元気になった。       
コンパッソ・ドーロは「黄金のコンパス」という意味、これまでのデザインの功績をたたえる賞で、アジア人では始めての受賞だそうだ。私たちは自分のことのように喜んだ。大きな受賞パーティのあとの小さな集まりだったが、喜多くんは喜んでくれた。
好奇心満々で周囲の事象に目を輝かせていた子どもたち、地下鉄が通る前、空き地のため池でいかだを作ったり、トンボを追いかけたり、ザリガニつりをしていたやんちゃたち。子どもの中で子ども世界を堪能できた。畳屋に鋳掛け屋に、ガラス屋に下駄屋に大工、職人の働く姿をすぐそばで見ていた。
「喜多くんの根っこはなあに」と問うと、「好奇心や」と言った。
AQOS, WINKチェアー、食器、ロボットなど住環境、ライフスタイルに及ぶデザインで世界を舞台に活躍する彼だが、目の前にいる喜多くんも同級生たちも、子どもの頃の下町のにおいがする。

カメラマンの遠藤くん、ガラス工芸家の岡本さん、筝曲家山田くん、中国で日本語教師の玲ちゃん、一人ひとりが精一杯生きてきた。親を見送り、友を見送り、子どもを見送り、今を生きている。丸い口を大きく開き唱歌を歌った。それはお互いへの応援歌であった。
 

 
 
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