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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2011.12.12 Monday

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我が家のヘルマン・ヘッセ庭仕事

  冬の長い陽射しが居間の奥深くまで入ってきた。
休日の上天気に心が弾む。
座り心地よいデッキチェアーを居間に降ろした。
お日様の動きに合わせて移動しながら読書三昧、病を得た幸せといったらいいかもしれない。
「どうや ええやろ」と夫は上機嫌。
実はこの陽射しは夫の計算通りなのだ。
冬が来る前にと、庭の木々の剪定を今年は植木屋さんに頼まず夫が念入りに、かなり思い切って切った。
まず大物の樫と柘榴、我が家にやって来て30数年、
長い枝きり鋏だけでは届かなくなり、二階の屋根の上から腕を伸ばしたり、塀と梯子に足を懸けたりと、74歳の夫のサーカスまがいに、こちらははらはらするが 本人はいたって満足気だ。
私は見ないことにする。
「はらはら」から、つい「大丈夫?」とか口を出したら喧嘩の元。
「自分で気をつけてやってる」と不機嫌にのたまい、その不機嫌が怪我につながっては・・・・おお、くわばらくわばらである。
柘榴は、実をひとつ残して裸になり気持ちよさげ、樫もすっきりした。緑濃く陽射しを遮ってくれた夏の枝葉は庭に山となり、
後始末のかさこそという乾いた音がしばらく続いた。
すっかり片付くまで夫は嬉々とこの作業に励んだ。

「どうや、明るなったやろ」と庭を眺めながらお茶の時間、
「このひとときは、最高や」 だそうである。

そうそう、カミキリムシのせいで枯れてしまった楓を抜いて、
千里の病院帰りに植木市で買ったもみじを植えたのも、空間が増えた原因だ。
まだ50センチに満たないもみじの横に藤袴も植えた。
樫の隣に植わる金木犀も、捌かれて陽射しが根元に届くようになった。そこに石楠花も2種植えた。
濃い分厚い緑の葉が丈夫そうで、先代の石楠花に比べてどんな花が開くのか楽しみだ。
結婚当初なにもなかった殺風景な空き地に私の母が「お不動さんで買ってきたよ」と植えてくれた草花や南天や柚子。
若い私たちはまだ植木どころではなくて、たくさん枯らしてしまったが、木々たちと心が通い合う年になり母の気持ちが手に取るように分かる。母の植えてくれた柚子など今年は大豊作だ。
山鳩が巣を作ったヒマラヤスギ、冬の庭を鮮やかに飾った乙女椿、春を告げて妖精が舞うような新芽を見せた楓は役割を終えた。ヒマラヤスギの後にバラを植えた。
勢いのあるのはノウゼンカズラ、今はすっかり葉を落としたが太くうねりくねった幹がなかなかの存在感を示している。
玄関先から2階のベランダまでこの幹が伸びているのだが、幹が飲み込んだ壁際の針金など見るとこの貪欲なまでの生命力に圧倒される。ベランダのハーブ園、とはちょっと大袈裟だがプランターに植えたラベンダー、タイム、セージ、レモンバームのこと。並んで新しく植えたバラの名はドンファン、ちょっとくすっと笑える名前だが植木市でみたラベルの写真がなんとも美しくて手が出たのだ。

  「冬の間の準備万端が大切なんや」「これから後は寒肥や」
「瓶の中に油粕を腐らせて作っている液肥、なかなかええ色や有機肥料やな」とかなんとか、我が家のヘルマン・ヘッセ殿は、
薀蓄を語りながら、明るくなった居間でお茶を飲んでおります。
74歳サーカスよりはお似合いですよ。

 

 
 
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