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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2011.09.19 Monday

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一旦は赤になる気で芽吹きおり

日が差すだけでほっと心がなごみます。
今、机の窓からぼんやりと庭の木をながめています。

樫の木の枝先は濡れたような柔らかな新芽が芽吹きました。
隣のかえでは早春、まず真っ赤で美しい若葉に覆われます。
先端の妖精のような可憐な花がそよ風に揺れて、まるでバレリーナのようで、なんとも魅力的です。
この かえで 夏にむけて緑に変わり、また秋には紅葉を見せてくれるのです。
柘榴の木も赤い新芽を見せ始めました。
庭の隅にひっそり小さな木でしたのに、今やなんとも言えぬ存在感です。大きくなり過ぎてお隣へのご迷惑になると 夫が横合いに伸びた太枝を鋸で剪定,残った枝先にかわいい新芽が吹いてきました。

「一旦は 赤になる気で 芽吹きおり」   

最近まで詠み人を知らず、後藤比奈夫さんという現代俳人、大家の作品であることを知ったのはこの文章を書きはじめてからです。
毎春になるとつい口ずさんでいた俳句です。
紅い新芽をこの俳人は木の意思としてお詠みになっているんだなあと、萌え出したやわらかな赤を見ていると とても納得していたのです。
いったんは赤になる気だった初々しい新芽たちはどんどん育ち葉を広げやがて濃い一人前の緑に成長を遂げていく。

よろこばしいような、淋しいような、残酷なような なんて思うのは年を重ねたせいでしょうか。
木々には人の営みを思わせるものがあります。
木肌はそれぞれ個性的です。
柘榴は白っぽい幹がうねるように伸びています。
少々不恰好ですが、力強く頑張って生きてきた証拠に 
根元はずんぐり、ひと抱えの岩のようになりました。
楓は滑らかにすきっと伸びていますが、若い青年のような彼だって所々瘤のように隆起した部分があります。いろいろな時代があったのです。
太くなった葡萄の木の幹は濃い茶色の皮で覆われています。
古くなった皮は簡単にぱかっと剥がれます。不器用な蛇が脱皮しているようです。
同じ庭に育っているのですが、まったく違う木々の幹、
金木犀、椿、いつもなら花ばかりが愛でられているのですが、幹を見ていくとなんだか撫でてやりたくなりました。
「花了へて ひとしほ 一人静かかな」  比奈夫

樫の木も植えた時の倍は伸びたでしょう。
夫は2階の窓をこの樫の木の葉が覆う風景を待ち望んでいたのですが、とうとう希望通り窓に届き、あるときはひよどりが巣を作り雛が育ちました。
幹にはところどころ大きな瘤があって虫の卵がくっついています。黒っぽい木の肌が落ち着いた風格を感じさせます。
瘤やうねり、横に何筋もある皺、まるで人間のようです。
一緒に年を重ねた同士です。
今後ともどうぞよろしく、でもきっと君のほうが長生きでしょうね。

 

 
 
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