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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2010.12.12 Sunday

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秋の光は黄金色

 秋の光は黄金色。日々この光に照らされて、園庭のもみじ葉鈴懸の色が変わります。一年中でこの大木が一番輝く時です。
朝、誰も居ない園庭は、冷いやりとした空気に覆われどこか淋しげに見えます。子どもたちの歓声がその空気を一変させます。
さあっと風が吹きぬけ木々を揺すり妖精たちが舞い降りるように木の葉が落ちてきます。
子どもたちを歓迎して朝の挨拶をしているようです。
まさにファンタジーの世界が子どもだけのものではないことを知らせてくれます。
吹きぬけた風は、小さなYくん(1歳児9ヶ月)の全身を通り過ぎました。瞬間、大きく目を見張り「おう」と声をあげました。
Yくんが全身で感じた秋の空気です。
Sちゃん(5歳)の差し出した小さな落葉の束は、緑の檜の葉の上に銀杏の黄色、楓の赤い葉を重ねてあります。小さな小さな赤ちゃんの葉っぱ、きっと見とれながらつくったのでしょう「なんて、きれいなの、ありがとう」と抱きしめるとにっこり笑って走り去って行きました。なんだか元気になります。
こんな小さな、けれどこんな大きなプレゼントが他にあるでしょうか。
園庭に散り占めた落葉の上を駆け回っているのは、足の裏のかさこそという乾いた感触を楽しんでいるのです。三輪車もスクーターも子どもと一体です。
放り投げたボールが木に引っかかりました。背の高さの何倍もの高さ、届かないのを知恵を出して何とか木から落す方法を考えています。足継ぎ台になるものを捜す子、もうひとつのボールを投げる子、なかなかうまくいかないのを見守ります。
決して結論を急がないのがやまのこの保育園流です。
箒を手にして落葉を集めているのは大人の真似、なかなかの仕事振りです。長縄跳びの列、わらべ歌、相撲ごっこ。
子どもが入ると風景は輝きを増すのです。

サッカー場よりも森にしたいという誰かさんの言葉に共感します。その森で大人も子どももいつでも自由に散歩ができるとしたら、子どもが生き生きして命が輝くでしょう、その風景が大人に力をつけることでしょう。子どもを育てるつもりが狭い狭い生きにくい世の中をつくっていくようで、小手先のことはもう結構、まず街づくりなんて思っていたときに森にしたいなんて発言、いいじゃありませんか。
近頃のおめでたニュースも嬉しい限りです。沢山子どもが生れてほしいなあと思っているのです。
沢山の子どもが群れて遊んでいた時代には子どもたちの個性が入り乱れて子ども世界は子どもたちのもの、子どもどうしで遊びこみ解決していったものです。大きいのは6年生から小さいのは4才ぐらい、小さいほうは「ごまめ」などといわれて一人前には扱ってもらえませんが特別ルールを許され遊んでいる気分は満喫したのでした。社会性はこんな中で育っていったのです。大人はそんな子どもをあたたかい目で見守っていました。
我家の前に、よく子どもたちが集まってきました。ドッジボールは、道路で繰り広げられたのです。開発されずに残った近くの裏山をどんぐり山と呼んで冒険基地にしていました。
息子は障がいを持ち、歩くのは覚束ないのですが、子ども達が助けて仲間になっていました。子どもは育つものだと確信したのは、そんな子どもたちの姿を見続けたからです。
風景の中に子どもが沢山登場する世の中でなくてはなりません。そして大人は大人の姿勢を子どもに見せてやらなくてはなりません。

 

 
 
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