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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2009.11.01 Sunday

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奇跡がおきた

夫が仲間に入れていただいている漆塗り工房、主は和歌山の古民家を改修し素敵な山房を作られたSさんご夫婦である。
漆塗り工房はその建物の一隅にあって漆に魅せられた人たちがいらっしゃる。その中で夫はただいま勉強中、研究中「なかなか漆の深奥に届かない」と少年のように目を輝かす。
私は夫の制作した欅で拭き漆しあげの小テ−ブル好きなのだ。欅の姿を生かしたそのテーブルは1998年の作品だ。
ところが実は、そのとき完成していたのではなかった。そして今もなお成熟中なのだ。1998年に漆が塗られ絹布で拭き込みまた重ねて塗り、拭き込みを何度も繰り返して仕上がった時、欅テーブルは深いこげ茶色をしていた。使い勝手がいいのでお客様が集まったときのティーテーブルに使ったり花台にしたりしていた。
年月を経るにつれ、この小テーブルに透明感が出てきたのだ。
透き通って、欅の年輪もますます美しくなってきた。
これが拭き漆の魅力だ。夫が魅せられたわけが分かった。       
Sさんは、古民家をかつらぎ山房と名づけ漆塗りの部屋までつくってしまわれた。つい先日、私も縁をいただいてこの山房を訪ねた。
縁側に座り家の空気に触れていた。和歌山の空が私を包んだ。
庭に真っ白の秋明菊が咲いていた。
蝶がすうと花にとまった。風がその花をゆすった。
「こんなときはいいことがある」思わずひとりごちた。
すぐそのあとのことだ。
振り返った私に「ああ!わたなべさん」と満面に笑みを浮かべて声をかけてくださった50年輩の男性がいたのだ。「剛くんのお母さんですね」と言うその笑顔には見覚えがある。 
1966年11月29日 A.M. 11:18生まれの私たちの長男、剛。
車椅子を使い始めたのは小学校6年生の時だ。以来24歳で亡くなるまで車椅子は息子の足になる。
「H義肢のAです。」「剛くんの車椅子をを・・・」そうだAさんだ。
仕事振りが丁寧で親切で若い好青年だったAさん。、あの頃の息子を知る方、いっきに月日が縮まった。
そして その日のコンサート前の出来事だ。
コントラバスと尺八のジョイントを楽しみにしていた。プログラムをみるとコントラバス奏者白土文雄さんはスイス在住の方でサイトウ・キネン・オーケストラにも参加されたとある。サイトウ・キネン・オーケストラは齊藤秀雄没後10年目に指揮者小澤征爾さんが中心となり世界で活躍する桐朋出身の教え子たちがが一同に会し演奏したのが前身だ。今に続くサイトウ・キネンオーケストラのヨーロッパツアーに私たち家族は偶然でくわしたのだ。ロンドンのバービカンホールだった。仲良しになった堀米ゆずこさんがこのツアーに参加することもあって、聴きにいった。
「僕、覚えてますよ彼のこと。20年ほどまえだったかな」
と白土文雄さんがおっしゃった。衝撃、心が震えた。
あれは1987年、車椅子の息子がいなければ家族そろってヨーロッパへ出かけるなど思いもよらなかっただろう。
ホール担当の年輩の男性が何を考えたのか、私たちを演奏前の舞台裏に連れて行ったのだ。大きな体がサンタクロースのようだった。そこで小澤征爾さんに会い。すでに演奏前に息子は感激し興奮した。演奏はすばらしいもので、ツアーは大成功と報じられた。
あのときの舞台裏に白土さんもいらしたのだ。オーケストラのコントラバス奏者として参加され息子を見ていてくださったのだ。
何と言う日だろう。
息子の風が吹いた。
「古い家に、風が吹けば、奇跡がおきる。」
なんていったらお笑いになりますか?

 

 
 
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