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日々雑感
幸せは日々の雫のような時の中にある。
毎月の、つれづれなるままに……
2009.06.01 Monday

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夫、怪我その後

 夫、怪我から4ヵ月。
しずしずと工房に入った。
少々の身震い、奮い立たせた気持ち,傍にいる私にも伝わってくる。
退院以後工房に入ることはなく、治療とリハビリの通院ガ続いていた。3ヵ月目、そろそろ片付け物からと、工房の扉を開けたのはいいが、腫れの引かない左手がどれほど重要かをあらためて思い知らされたようだ。右手の動きまでも思うようにいかず、「今日はこれまで」と工房の主はあきらめた。
電動丸鋸は何事もなかったように、工房の奥に鎮座ましましている。こちらは生身の人間、あの日の状況は記憶に新しい。
私も鋸の音を聞いただけで背骨から冷たい空気を入れられたような、妙な感覚が這い上がってくる。
   再びドアは閉められ木工は封印された。そしてさらに1ヵ月目、工房に楢材が運ばれた。どうやら新1年生Mちゃんの学習机の材料のようだ。水楢は北海道のような寒いところで育つ。素敵な欧米のオーク家具、オークと呼ばれるのは実は楢の木のことらしい。
保育園のテーブルは一台ずつ家具屋さんにつくってもらい 開園時のパイプの脚、合板の天板のものから順次変えていった。椅子も同じ。
材は北海道の水楢だった。椅子が来るまで、子どもたちにはこの木が森にあった頃から材木になるまで、そして椅子や机になるまで、職人さんの仕事振りなどを話してやった。窓口になったこの家具屋の店長さんが私の思いをよく分かり職人さんにも伝えて下さったようで、落ち着いた優しいテーブルと椅子になった。ここで絵を描き本を読み戯れた子どもたちが代々卒園していった。20数年を経た今も姿は変わらず、いや風格が増したかもしれないが、自然に子どもたちの中に溶け込んでいる。
   夫の木工には歴史がある。
遊具のてっぺんから青桐の木に乗り移った幼稚園のころ、舟形の青桐の実をレシーバーのように耳にかけて遊んだ。かさこそと乾いた感触が今でもよみがえるのか顔を輝かせて語る。
「ちゃんばらごっこは夾竹桃に限る」枝の太い手元部分に切れ目を入れてそこから先に向かって皮をむいていく、白い木肌が表れる。
それぞれの名刀正宗をもったやんちゃ坊主たちが広場や神社を飛び回っている風景が浮かぶではないか。
杉鉄砲。木の枝でつくったパチンコ。竹馬。蛙つり。とんぼとり。リム回。「剣道をやってる近所のお兄ちゃんに武具を着けてもらったことがあったなあ、あの面の間から揚げたてのてんぷら食べたぞ」
このあたりになると、もう見たこと、匂ったこと、触った感触、総てが相俟って次々と思い出が引き出されてくる。少年の目だ。
「肥後の守はなあ」とにやっと笑う。「橋の欄干をこすりながら歩いて研ぐんや」  まさに子どもたちが知恵を全開にして遊びこんでいた時代、命をかけて遊び貫いた時代、まさに今という時に全身で存在していたのだ。戦争の傷、貧困の傷、しかし子どもはいつの時代も、子どもであることこそが宝なのだ。
独学の木工は、まっすぐな目を持つ少年の好奇心だ。何でも自分で極めて行きたい、夫の性分はこんな少年の頃に培われた。
「つくえおそいなあ と おもったら そんなことで かわいそうです。
はやく げんきに なってね」可愛いおたよりが夫をはげました。
楢材はまず荒木取りされて接ぎあわせる。机の天板になる。蟻桟、これは夫の得意技、天板の裏に2本通すことで伸び縮みする木をおさえる.帯鋸で脚になる部分の木取り、少し先が細めになっているのが味噌、机全体がいいバランスをたもつ。こつこつと丁寧に仕事は進み、机が姿を表してきた。磨くと楢の特徴であるはっきりした木目が表れる。椅子は背もたれの反りぐあいに工夫がある。座板,脚。
夜になると夫の左手は腫れあがる。動かず以前より短くなった人差し指は押さえが利かない、つかめない。
しかし木工をしている夫は幸せそうに見える。

 

 
 
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