四月十二日いい日曜日だった。
今森光彦さんの切り絵展の案内が来たので孫(間もなく11歳男5年生)に手紙を出して誘ってみた。
今はサッカーに熱中で、週のうち3日は地元の小さな小さなチームに入ってボールを蹴っている。学年が上がって5・6年の新チームになった。背番号を自分で選ぶことになって”10”を選んだ。エースナンバーをつけたい気持ちと責任の重さのプレッシャーで気持ちの葛藤があったようだ。
さて、日曜日10時過ぎの南海高野線で難波まで、地下鉄御堂筋線で新大阪、新幹線で京都まで、JR京都駅内の伊勢丹美術館「えき」KYOTOが会場である。
今森さんとの出会いは、長く保育の仕事をしていた本好きの妻(昨秋逝去)と、孫が3歳のころに滋賀県高島市でのフィールドワークに参加した時であった。孫には3歳の時の記憶が残っていたのであろう喜んで同行に応じてくれた。
到着早々作品を鑑て3時のトークショーまで食事をしたり屋上から京都の町の展望を楽しんだ。社会人になった昭和31年(1956年)から2年間京都に勤務 していた。私には京都の町は懐かしい。ビルの高さが競われるように林立する東京や大阪に比べると落ち着いた街並みである。南を望むと唯一京セラの高いビル が目立っている。目を南西にやると東寺の五重の塔が印象的に目に入ってくる。孫はカメラに収めようとしているのだが安全のために建てられた高いガラス塀越 しには反射で上手く撮れない。トークショーの後で東寺に行くことにした。丁度明日が誕生日になる母親と1週間後に誕生日を迎える父親のためにと切り絵(コピー)とカードを自分が選んで求めていた。